占い師は占いは統計学と言われるのを嫌う?
なんでこんなことを書こうかと思ったのか。
それは、X(旧Twitter)で、ある占い師さんが呟いていたのを見たからです。
藤森緑さんは、私もトートタロットの本を読ませていただいて、勉強させていただいてる占い師さんです。
藤森緑さんに関しては置いときまして。
この本は。。。
本の見出しの写真から察するに、西洋占星術を「統計学の集大成!」と言っているようなのですね。
ふーむ。
これって、違うよな。
と、正直思いました。
そして、私も占い師と名乗ってますからね。
なんて言うのかな。。。

やめてほしいな。統計学と一緒にするの。。。
というか、「集大成!」ってなんだよ。。。
と、思ってしまったのですよね。
添付してあった鏡リュウジさんの記事も読んで。。。


そして、facebookに書いたのがこちら。
確かに占いをすると、統計的に当てはまるような、ある【パターン】というのがあって、それは講座やセミナーで習ったものだったり、占い師同士での経験値としてのシェア会だったり、自分の経験からくるものだったりする。
だけど、それだけじゃないんだよな。
習った通りにリーディングするなら、それは統計的にそう言われているものなのかもしれない。
ここに占い師の洞察が入ってホロスコープなり、スプレッドされたカードの中に入り込む(文字通り入り込むんです!)ときに、見えてくるフィールドのようなものがあって、それは確かにそのクライアントさんと占い師の間にしかわからない、とても精密な言語を超えた共通認識で。。。
占い師側の言葉が足らずとも、意図はクライアントに伝わる。。。という現象が起こる。
それは、「思い当たる」こと、と言えばそうなんだ。
さらに思うことには、X(Twitter)にも呟いたように、まず、クライアントさんがどの占い師の元に行くか。ってことも私は非常に大事だと思っている。
今は、いろんな占いのスタイルがあって、昔ながらの露店スタイル、大小さまざまなイベントでの占い、電話占い、カウンセリング占い、チャット占いなどなど、本当にいろんな占いスタイルがある。
いろんなスタイルの占いがある中で、クライアントさんがどうしてその占い師さんに占ってもらおうと決めたのか。
そこから占いって始まっていると思っている。
鏡さんも記事の中でこうおっしゃってる。
占いは多くの場合当たる、いや“思い当たる”のですよ。占いの結果という象徴的でイメージを喚起する言葉は、人の想像力を掻き立てます。そのことによっていまだ意識に上ってきていない心の中の問題に光が当てられて行く。占いは占い師だけが行うのではなく、占い師や占いのメッセージと占ってもらう側の共同作業だと私は考えています。
そう、占いって占ってもらう側と占う側の共同作業なんですよ。
だから、統計学とはちょっと違う。いや、ほど遠い。。。
統計学とは?
そもそも統計学について知っておかなければなりませんよね。
統計学(とうけいがく、英: statistics)とは、統計に関する研究を行う学問である。経験的に得られたバラツキのあるデータから、応用数学の手法を用いて数値上の性質や規則性あるいは不規則性を見いだす。統計的手法は、実験計画、データの要約や解釈を行う上での根拠を提供するため、幅広い分野で応用されている[注釈 1]。
物理学・経済学[2][3]・社会学・心理学[4]・言語学といった人文科学・社会科学・自然科学(基礎科学)から、工学・医学[5]・薬学といった応用科学まで、実証分析を伴う科学の分野において必須の学問となっている。また、科学哲学における重要なトピックの一つでもある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
と、Wikipediaにはありますけど、
つまりは、統計学は、統計について研究する学問で、統計とはデータの特徴を数値で示したものってことですよね。
そして、どのような方法でデータをあらわせば、特徴がより明確になるか、理解しやすくなるか、その方法を研究するのが統計学ってことになると思います。
そして、統計学ってある意味では確率を扱う学問でもあるようです。
占いってデータを数値で表したものでもないし、確率を扱うものでもないですよね。
経験則と統計学をごっちゃにしてる?
さらに藤森さんのX(Twitter)を引用させていただきますと。。。
確かに、経験則あります。
データとして数字としてビチっと出すことはできない何か。
なんですよね。
そもそも、藤森さんが最初のツイートでおっしゃってます。
根拠がないから占いなんです。
そうなんですよね。
占いってね、現実的根拠ってないですよ。すごいですよね。
ただ、やはり経験を積むことで
「あ、このパターン。。。」
みたいなのはあります。
だけどだけど。。。
占いは、その経験則を超えたところにあるんです!
これはね、占いをする側にまわらないとわからないこと。
占いをする側になって初めてわかることがある。これなんですよ。


占いを統計学と思っているのは誰?
なぜかこのことについて、すごく考えたんですよ。私。
そして、率直に感じたのは、占いと統計学を一緒にされるのはイヤだということ。
これ、割と1週間くらい考えてたんですけれど、その間に藤森さんも議論に終止符を打たれました。
なるほど確かに。
占術家は占いを統計学とは思っていない場合が多いわけですね。
そして、占術家よりも一般の人たちが「占いを統計学」としている背景には、一般の人たちが科学的根拠とか数字やデータを使ったもののほうが信頼できると考えていることが原因のようです。
統計学をお勧めしているサイトには、このように書かれていました。
統計学が注目される理由として、ビッグデータが容易に取得できるようになったこと、現実的な時間・コストでデータを分析し意思決定できるようになったことが挙げられます。経験に基づく判断よりも、統計学に基づいた意思決定のほうが、よい成果を得られることが増えてきたためです。





マジか。。。経験則より統計学に基づいた意思決定の方が、良い成果を得られることが増えてきた。。。?
それこそ、データはあるんかい!?
それやったら、ほんまにAIやチャットGPTに占ってもらったらいいと思います。
それは、私は占いとは思いませんけれどね。
ま、ね。
この議論、果てしなく続くと思います。
占いとは?ミナコの私見。
私は、占いとは目に見える世界の外側からの介入だと思っています。
そして、その外側からの介入をうまく反射させて見せるのが占い師なんだと思ってます。
占いは、クライアントさん(占われる側)のものであるけれど、占い師のものでもあるということ。
これは経験則なのかもしれませんが、不思議と私の前に座られるクライアントさんにお話をしているとき、まるで自分に語りかけているかのような感覚になることがあるんですね。
占う側と占われる側がまるで鏡のようにお互いを映し合って場が作られていく。
なんじゃそれ?と思われるかもしれませんが、この世の中、目に見えない大事なことはたくさんあります。
自分では見えていない大事なことを、占い師を通して見ていくんです。
そんなことを考えてたら、こんな絵を描きたくなりました。


占いって、多分こういうこと。
取り留めのないお話に付き合っていただいてありがとうございます。




コメント